大西麻貴+百田有希 / o+h展:⽣きた全体――A Living Whole (2024, 12)

 会場に入るとまず、目に入ってくるのは壁を大きく使った、温かみのあるハンドドローイング。淡い色のタイルの展示台の上に並べられた有機的な形状の模型たちは、生き物のようでかわいらしく、動きだしそうな気配すら感じる。来場者のなかには、一眼カメラで一つ一つ展示を撮影する人もいて、o+hの作家性に惹かれるファンがいることも伺える。ものとしての完成度は確かであるが、全体としてふわふわと浮いている印象を受けた。

 展示では、「建築をつくることは物語を紡ぐことと似ている」と述べ、各地域の風景や人々の活動と建築を紐づけている。私にはそれがきれいな事柄だけを取り上げているように見えた。地面から浮いたような曲面の屋根は、空から見渡して地域のグッドポイントを選別し、それらをつなぐようにふわっと上からウェブを掛けたようなものに見えてきた。もっと地に足を付けて内側から各地域の物語を体現するような建築のあり方があるはずである。市井の暮らしには、理想と現実の間における葛藤や、意見が違う人々と共に生きていく時の折り合いのつけかたなど、暗い側面もある。そういったものと向き合う姿からも美徳は生まれうるし、私はそのような人々によるパワーを受けとめる包容力や、前向きな方向へ昇華させる力が建築にはあると信じている。

 4階「o+hの頭のなかへ」では、会場の中央に赤いカーテンで空間が仕切られ、切り取られた小窓からその中をのぞくと模型群が一望できるようになっていた。その中には別世界の物語が広がっていて、人形の家を見るようでかわいらしいのだが、これもまた、建築を現実から切り離したものとして捉えていることの現れではないか。o+hの建築による物語に没入した先には、愛に包まれた世界があるそうだが、私たちが真に生存する世界からの現実逃避にはなっていないか。

 この展示を見に行く数日前、世間ではアメリカ大統領選挙の開票があり、トランプ氏再選による世界情勢の行方や分断が深まるアメリカ社会に関する議論が活発にされていた。そのような議論をしている人たちからすると、この展示はどう映るのだろうか。建築家は政治家のように社会を語らずとも、地域の人々と寄り添う中で社会的な価値を帯びていくはずである。建築を、社会から浮いた能天気な存在とすることは避けなければならない。

大西麻貴+百田有希 / o+h展:⽣きた全体―A Living Whol, TOTOギャラリー・間,2024.9.4-11.24,< https://jp.toto.com/gallerma/ex240904/index.htm>